クラウスグート演出のドンジョヴァンニ
今やヨーロッパの夏の音楽祭たけなわという時に全くもって黴が生えたようなお話だが、昨年のザルツブルグ音楽祭のドンジョヴァンニの舞台映像を見て興奮してる私である。
夏休みで子供達家族が我が家に滞在中で目のまわるような日々だが、ほんの束の間の静かな時間に録画映像を取りだした。
読み替え演出大嫌いなのに、このとんでもない大逆転発想演出のおかげで私のドンジョヴァンニというオペラに対する気持ちがグート演出以前と以後で大転換してしまった感がある。
とにかく悪くて強くて格好良くてパワー溢れるドンジョヴァンニを求めてのオペラ狂いであったと言っても過言でないくらい大好きなオペラ。
それなのに、このグートという演出家はドンジョヴァンニを致命的な傷を負って弱っていく息も絶え絶えの冴えないおっさんに仕立ててしまった。
もともと大した声ではないと思うのだけど、演出が意識も遠のきがちな大けがを負ってるという設定なのでドンジョヴァンニの見せ所聞かせどころが全ていらだたしいほど弱い。
それなのに、何故こんなに一気にひきこまれたかというと、ドンナアンナ、ツェルリーナ、ドンナエルヴィーラの3人の女性の強烈な個性を見事に際立たせてくれたからだ。
ドンナアンナは決してドンジョヴァンニに無理矢理犯されたのではなくはっきり自らの意志で引きずり込んでドンジョヴァンニに迫り、積極的だったのはアンナの方である。
それが、何となくドンジョヴァンニに軽くあしらわれ、弄ばれてると知っていきなり嘘八百並べ立てて復讐を誓う。
そして、それでもやっぱりドンジョヴァンニのことが忘れられないアンナは堅物でつまらない婚約者オッターヴィオを口先でたぶらかし最後はおそらく格好だけつけて無理心中に見せかけるんじゃないのかしら?
などと、おそろしく過激な想像を可能にしてくれるドンナアンナであった。
一番光ってたのはドンナアンナだった。
ツェルリーナも凄い女だった。
小悪魔的に描かれるツェルリーナは結構多いと思うのだけど、この演出ではサディスト?
そのくせトラウマでも抱えているのか、自分についた血には極度に怯える。
一体彼女の本心はどこにあるのか分からないのだけど、少なくともマゼットに対しては適当に遊んでるだけ。
結婚式なんて一瞬の出来心だったんじゃない?
というか、マゼットごとき普通の男では到底まともに立ち向かえない女だ。
「バッティ、バッティ」のアリアではマゼットをまるで玩具のように扱い、「薬屋のアリア」では触れることすら許さずいたぶってるだけ。
ドンジョヴァンニすらツェルリーナには遊ばれてるような気がする。
彼女の本性はレポレッロに対する拷問で顕著になった気がする。
この部分、取って付けたような2重唱になっていて、初めて聞いたのだが、音楽的にはつまらない。
モーツァルトがこんな駄作をどうしてここに入れたのか分からないけれど、演出のおかげでツェルリーナの狂気がはっきりしてとても印象的な場面になった。
エルヴィーラはまさしくよく知っているエルヴィーラだった。
煮え切らない男にいつまでも入れ込む愚かな女。
それを素晴らしい歌唱で納得させてくれた。
マゼットとオッターヴィオはそれぞれにはまり役。
猛女に翻弄されるつまらない男という意味で。
最後にレポレッロ。
これが上手い!
薬物中毒のいかれた男。
視線はドンジョヴァンニより常にレポレッロを追ってしまう。
決してドンジョヴァンニの従者ではない。
ワルがつるんでるだけ。
舞台は森の中。
回転することにより少しずつ景色は変わるけど、所詮何もかも元々の設定は無視された舞台。
こういうのが支持される理由も激しいブーを浴びせられるのも分かるけど、グートによるドンジョヴァンニだけは私のつぼにはまった。
ドンジョヴァンニの地獄落ちの後の6重唱がないというバージョンがあるとは聞いてたけどこの舞台が初めてだった。
指揮者のベルトラン・ビリーの技量かウィーンフィルの技量なのかわからないけれど、オーケストラが素晴らしい。
また、特別に感動したのがレスタティーヴォを誘導するハープシコード(?)の音色の情感の豊かさ。
こんなところにまで耳を奪われたのも初めてだ。
明日からまた喧噪が戻る。
花に囲まれる我が家も盆と正月は孫に囲まれて様変わりする。
ノワゼットのエメヴィベール
最高の時を迎えている。
エメといったらツル性が広く知られてるが、これは伸びない。
それにしても小さすぎるかも・・・
春半ばに枯れ込んだ。
大切に大切に保護しての復活。
だから、とても嬉しい。
ノワゼットの白花小輪の中で特別に優雅かも。
なにしろ有名なヴィベール作出。
夏休みで子供達家族が我が家に滞在中で目のまわるような日々だが、ほんの束の間の静かな時間に録画映像を取りだした。
読み替え演出大嫌いなのに、このとんでもない大逆転発想演出のおかげで私のドンジョヴァンニというオペラに対する気持ちがグート演出以前と以後で大転換してしまった感がある。
とにかく悪くて強くて格好良くてパワー溢れるドンジョヴァンニを求めてのオペラ狂いであったと言っても過言でないくらい大好きなオペラ。
それなのに、このグートという演出家はドンジョヴァンニを致命的な傷を負って弱っていく息も絶え絶えの冴えないおっさんに仕立ててしまった。
もともと大した声ではないと思うのだけど、演出が意識も遠のきがちな大けがを負ってるという設定なのでドンジョヴァンニの見せ所聞かせどころが全ていらだたしいほど弱い。
それなのに、何故こんなに一気にひきこまれたかというと、ドンナアンナ、ツェルリーナ、ドンナエルヴィーラの3人の女性の強烈な個性を見事に際立たせてくれたからだ。
ドンナアンナは決してドンジョヴァンニに無理矢理犯されたのではなくはっきり自らの意志で引きずり込んでドンジョヴァンニに迫り、積極的だったのはアンナの方である。
それが、何となくドンジョヴァンニに軽くあしらわれ、弄ばれてると知っていきなり嘘八百並べ立てて復讐を誓う。
そして、それでもやっぱりドンジョヴァンニのことが忘れられないアンナは堅物でつまらない婚約者オッターヴィオを口先でたぶらかし最後はおそらく格好だけつけて無理心中に見せかけるんじゃないのかしら?
などと、おそろしく過激な想像を可能にしてくれるドンナアンナであった。
一番光ってたのはドンナアンナだった。
ツェルリーナも凄い女だった。
小悪魔的に描かれるツェルリーナは結構多いと思うのだけど、この演出ではサディスト?
そのくせトラウマでも抱えているのか、自分についた血には極度に怯える。
一体彼女の本心はどこにあるのか分からないのだけど、少なくともマゼットに対しては適当に遊んでるだけ。
結婚式なんて一瞬の出来心だったんじゃない?
というか、マゼットごとき普通の男では到底まともに立ち向かえない女だ。
「バッティ、バッティ」のアリアではマゼットをまるで玩具のように扱い、「薬屋のアリア」では触れることすら許さずいたぶってるだけ。
ドンジョヴァンニすらツェルリーナには遊ばれてるような気がする。
彼女の本性はレポレッロに対する拷問で顕著になった気がする。
この部分、取って付けたような2重唱になっていて、初めて聞いたのだが、音楽的にはつまらない。
モーツァルトがこんな駄作をどうしてここに入れたのか分からないけれど、演出のおかげでツェルリーナの狂気がはっきりしてとても印象的な場面になった。
エルヴィーラはまさしくよく知っているエルヴィーラだった。
煮え切らない男にいつまでも入れ込む愚かな女。
それを素晴らしい歌唱で納得させてくれた。
マゼットとオッターヴィオはそれぞれにはまり役。
猛女に翻弄されるつまらない男という意味で。
最後にレポレッロ。
これが上手い!
薬物中毒のいかれた男。
視線はドンジョヴァンニより常にレポレッロを追ってしまう。
決してドンジョヴァンニの従者ではない。
ワルがつるんでるだけ。
舞台は森の中。
回転することにより少しずつ景色は変わるけど、所詮何もかも元々の設定は無視された舞台。
こういうのが支持される理由も激しいブーを浴びせられるのも分かるけど、グートによるドンジョヴァンニだけは私のつぼにはまった。
ドンジョヴァンニの地獄落ちの後の6重唱がないというバージョンがあるとは聞いてたけどこの舞台が初めてだった。
指揮者のベルトラン・ビリーの技量かウィーンフィルの技量なのかわからないけれど、オーケストラが素晴らしい。
また、特別に感動したのがレスタティーヴォを誘導するハープシコード(?)の音色の情感の豊かさ。
こんなところにまで耳を奪われたのも初めてだ。
明日からまた喧噪が戻る。
花に囲まれる我が家も盆と正月は孫に囲まれて様変わりする。
ノワゼットのエメヴィベール
最高の時を迎えている。
エメといったらツル性が広く知られてるが、これは伸びない。
それにしても小さすぎるかも・・・
春半ばに枯れ込んだ。
大切に大切に保護しての復活。
だから、とても嬉しい。
ノワゼットの白花小輪の中で特別に優雅かも。
なにしろ有名なヴィベール作出。
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