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母は極めつきの教育ママだった

母に会いにいってきた。

私は年に2,3回くらいしか会いに行かないけれど、会う度にいつも、ここまで動けなくなっても尊厳保って生きていられることに正直驚く。
介護スタッフの方々と施設に通ってくれる妹への感謝の念でいっぱいである。

たまにしか顔を見せない私のことを、まだ分かってくれるものね。
舌でつぶせるくらいのムースみたいな食事だけど、まだゴックンと飲み込めるものね。
姪(妹の娘)がイノシシを仕留めた話をしたら「おてんば」って大笑いしてむせそうになり私はあわてたよ。
「帰るね」と言ったら「サンキュー」と応じてくれた。


実家で妹と母親のことを話してると、お互い知らない母親の姿が垣間見えて面白い。

妹が知らない母の一面。

内気で石橋叩いても渡らない引っ込み思案の私は母親が敷いてくれたレールの上を走ってきた。(と思っている)
不思議な事にそれで母親と激しくぶつかったとか喧嘩したとか、精神的に追い詰められたという記憶もない。



例えば、車の運転。
大学に入るといきなり免許を取らされた。
嫌々教習場へ通い始めたのに、なぜか補講も受けずストレートに免許取得。
その頃大学に教授ですら車で来る人はいなくて、広いキャンパスに乗り入れどこへ留めておいても注意されなかった。

当時学生の自治会だったかが主催してどの大学でもダンスパーティが流行っていた。
それを知るや、母親は知人の息子さんが学生ダンス競技会の委員長であるという情報を仕入れてきて、尻込みする私へのダンス特訓を知人を通して頼み込んだ。

1週間ほどの猛特訓の末、ダンスパーティデビュー。
クラスメイトがワルツのステップがやっとという中でクイッククイック~とかジルバとかをダンス師匠と軽やかに楽しく躍ってしまったんだ。


苦い思い出もある。
当時一期校といわれた地元の国立大学の受験に私は失敗した。
まあ併願した公立の大学には受かっていたけれど、外に出るのも嫌というほどにその時の私は落ち込んでいた。
それまで多くて5,6人しか入らなかったのに、その年は二桁の合格者がでたのだからそのショックははかりしれない。

当時私の卒業した高校にはおかしな習慣があって、高校受験を通って入ってくる新入生のクラス編成のためのテストの採点を大学入試を終えた卒業生がすることになっていた。

一期校に入った人ばかりじゃなく、二期校の人も公立も私立の人も採点ボランティアには参加する。
私は行きたくなかった。
私が落ちた大学に合格したクラスメイトと会いたくなかった。(当然よね)

そこで、究極の教育ママたる母親が立ち上がる。
「今、ここで出ていかなかったら、ずっと永遠に敗者になるのよ」
「私は公立の大学で頑張りますと先生や友達に笑って宣言してらっしゃい」

今考えると凄い。

でも、考えたら当然すぎるほど当然の親心?

むしろここで親の言うままに学校へ出かけた私が凄い? 強い? いや、なにもかも親の言うままのお人形だった?

まあどうでもいいや。


庭で一番遅くまで咲き続けるバラ
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毎年それはプロスペリティー
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バラ関係のいろいろな記事にそのことは出ている。
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正真正銘の秋も咲く白いツルバラはプロスペリティだと。
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玄関脇の寄せ植え
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実家へ行ったとき、「同じ香り!」とすぐに気がついた。
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うちでも門を入ると今の季節はストック。


ビオラ大好き。
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気に入った色のがあるとついね。


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